◎価値観の多様化 (アメリカでの生活)◎
勢いよく行ったは良いものの、知っている言葉は、「YES」 「NO」 「My name is NAHOKO HIROTA」のみ。
初めの1か月は、スーパーへ行くだけで、外を散歩するだけで、ご飯一つ食べるだけで 「楽しい」 の連続でした。
そんな楽しい1か月が過ぎてから、父親は私の希望通り「日本人が一人もいない現地校」に入学させてくれました。
(※私が行ったオハイオ州メリスビル)
でも、ヤッターという思いは1週間で壁にぶつかります。
直面した壁とは、全くコミュニケーションが取れない・・・でした。
「英語を勉強しなくてはいけない」
「これじゃ、友達できない」
自分で希望したはずでしたが、あまりのギャップに衝撃が走りました。
そこから、人の表情、人の気持ち、人の考え を言葉なしで読み取ろうとする力が付きました。
言葉が分からないからこそ、その人の表情一つ、それだけですべてを感じようとしていたのです。
その力は、セラピストとなった今、とても大切に感じています。
メリスビルは田舎で、隣町には電気や車などを一切使用しない昔ながらの生活スタイルを続けるアーミッシュの村もありました。
街中はアメリカの良き田舎という感じです。
◎帰国◎
2年半のアメリカ生活を終え、日本へ帰国した後は、クラスの3分の1が帰国子女という特殊な高校へ入学しました。
アメリカ
オランダ
コロンビア
タイ
など、様々な国で過ごした子たちが集まるクラスは個性豊かで、私もすんなりと馴染むことができました。
そして高校3年生の時、私の夢は「海外を飛び回る仕事。たくさんの人に出会える仕事。言語を活かせる仕事。」でした。
そして、大学へと進学しました。